東京心覚、びっくりしたー!!!!!!
↓↓↓ ネタバレの無い初見感想 ↓↓↓
既に沢山言われてますが、今までのエンタメ演劇路線から現代芸術路線にグッ!!と寄せにいくとミュージカル刀剣乱舞はこんな風にもなる、みたいな作品でしたね…。
頭のスイッチをパチッと切り替えて観る感じ。
今までの作品にも増して「分からない、でも感じること」「一人一人の中に芽生えた物語」が大切なお話だと感じています。
…とは言いつつも、決して観客の皆さんにお任せしますねー!考えるな感じろー☆★☆だけで投げ出す類の話ではなく、そして「意味が無いことに意義がある」タイプの作品でもなく!!
一定の程度についてはパズルのピースを嵌め込むように、筋道立てて“理解する”こともまた可能な脚本だと思いました。
初日にマシュマロで「パライソ見てない、東京心覚を理解できるか不安。何を予習して行ったらいい?」というメッセージをいただきまして。
お返事として「パライソを見てなくても基本理解はできる。ただ『歴史人物は誰で、それは東京にとってどういう人物なのか』くらいは予習していった方がいいかもしれない。話の組み立てに集中できるようになると思う」と言った手前、
1.内容バレの無い歴史人物の話
2.内容に関わる歴史人物の逸話
3.ネタバレ全開の感想
を記事にしておこうと思います。(ちなみに私もパライソ未観劇です…)
東京心覚、わっかんねーのが魅力な一方で、わっかんねーだけの物語ではないんだ!!!!という趣旨の記事なので、③では特に「読み解き」に比重を置いて現時点の理解を書きます。
基本的にメモを取ったぶんを元に書いてますが、書き落しや文脈の誤解等もありえるかと思います…。あくまで粗削りなもの&
×考察 △解釈 〇私の読み取った物語 のアウトプットということで宜しくお願いします!!
お好みに合わせて検討材料の一つにでもして頂ければ幸いですし、疑問も語り合いも大歓迎です。
感想を分かち合うという記事の目的上、言わずもがなのことまで書いててくどいかもしれないけどご勘弁ください!!
1.歴史人物:”東京”の地に関わる人々
今回は日本史の中でも江戸以前から”東京”に至るまでの楔というか、要みたいな人々並べて出してきたな…!!と唸ってました。
灰文字は、「この人が歴史話に出たら大体○○な人」のお約束(私調べ)。
平将門:英雄譚と怨霊話の両面持ち
関東において「新皇」、つまりもう一人の天皇を名乗り、朝敵として討たれ日本三大怨霊の一人になる。
⇒東に京(みやこ)を築こうとして敗死
太田道灌:江戸の歴史を語るときの出発点になりがち
徳川家康より100年程前の人物で、江戸城を築城した扇谷上杉家の武将。和歌の道に通じたと伝わる。
⇒江戸の素地を拓く
南光坊天海:霊的な守護ガチ勢のハイパーマルチ僧侶
家康~家光に仕えた僧侶。陰陽道に基づく吉凶を取り入れ、江戸城を中核とした江戸の都市計画を練ったと言われる。
⇒江戸を完成させる
勝海舟:日本全体の利を思い、幕臣でありながら幕府の幕を下ろした坂本龍馬の師
江戸幕府末期の武士。江戸城下であわや全面戦争かという局面を、新政府軍・西郷隆盛との会談で無血開城に持ち込んだことで知られる。
⇒江戸を終わらせる
起承転結……と言うには起がやや異質かつ不穏ですが(笑
基本的に、とてもツボを押さえた並びだと思います。
↓↓↓ 以下、予備知識になりそうな逸話バレ(飛ばしても大丈夫) ↓↓↓
2.今回の内容への関連が伺われる「伝説」
今回特に、敢えて「逸話」にも至らないトンデモ伝説まで盛りまくってる様子なので、もう厳密性には拘らずにザクッと!!
平将門:
・七人の影武者を従えた『七人将門』伝説で有名。
武勇に優れたが、愛妾の”桔梗御前”にこめかみが弱点だと情報を漏らされ、藤原秀郷に射抜かれて戦死、というパターンの伝説がある(伝説の残る地には桔梗を避ける風習が残ることもある)
・妙見菩薩=北斗七星or北極星を神格化した菩薩を信仰していたとも。影武者が七人なのはそこにゆかりのある発想か。
・秀郷の焦土作戦で、将門の本拠地は焼き払われたと言われる。
・京都で首を晒された将門は、生首のまま飛んで関東に帰った。その首が落ちたところが神田明神の創建地。
・1300年代初頭、将門の祟りと言われる疫病が流行り、怨霊を鎮めるために首塚が修復された。
・一方で、武名高く東国独立を掲げた英雄として信仰の対称になってもいる。
(ちなみに妙見信仰には、三日月と北極星を合わせた”月星紋”も登場します…余談です…)
太田道灌:
・『山吹の里』伝説で有名。
鷹狩の最中、にわか雨に遭った道灌は民家に駆けこむ。蓑を貸してほしいとその家の少女に頼むが、彼女は黙って一枝の山吹を差し出した。「花など渡されて何になる」と腹を立てて帰った道灌だったが、後日家臣から「それは『七重八重 花は咲けども 山吹の みの(実の=蓑)ひとつだに なきぞかなしき』という歌を引いて『貧しい我が家にはお貸しする蓑もございません』と伝えたのだろう」と言われる。道灌は恥じ入り、以後和歌を学ぶようになった。
・家紋は細桔梗
・名将として名をはせるが、最期は主君に暗殺される。死に際に「当方滅亡!」と叫び、自分を斬れば扇谷上杉家も滅ぶだろうと言い遺した。
(神田明神を崇敬したとも伝わります)
南光坊天海:
・『江戸城の結界』伝説の立役者。
江戸城から見て北東の鬼門に寛永寺&南西の裏鬼門に増上寺を置き、さらに神田明神と日枝神社をその線上に移して、幕府の守護を祈願したと言われる。
・鬼門除けまでは徳川に限らず城郭建築においてメジャーな文化だけど、さらにソハヤが祀られてる久能山東照宮と日光東照宮と、あと大樹寺やら富士山やら使って、西国からの気を遮断するとかなんとかって話も出たりする。後世の人々は好き勝手言うもんです。
・寛永寺は幕末の上野彰義隊の戦いで大半を焼失している。幕府守護に置いた寺院が、幕府終焉に際して焼け落ちるという皮肉。
・家康の神号「東照大権現」も天海が推したとされる。言いようによっては、神としての家康作りに携わった男。
(ちなみに日光東照宮の陽明門は、北極星を背にして江戸に南面する状態で建てられてる=家康を天の中心・天帝に準えて江戸を守ってるとかの話も、結構な頻度で聞くやつです)
(“天皇”という語も、そもそもこの北極星の神格化である天皇大帝から来ているって説があります)
(天海はこれらの構築を以て、将門≒もう一人の新たな天皇≒徳川家康という呪術を完成させたのだ!ジャジャーン!…というストーリーが、その筋の物語として既にございます…笑*1
勝海舟:
・『江戸城無血開城』が大きな業績。新政府軍による江戸総攻撃直前に、戦端を開かず将軍も助命、徳川宗家も存続という条件で江戸城を明け渡した。なお西郷との交渉が決裂してしまった場合に備え、住民避難の上で江戸の町に火をつける焦土作戦を準備していたとも。
・榎本武揚と同じく、べらんめえの江戸ッ子気質。江戸弁は「ひ」の音が「し」に訛る。(コーヒー→コーシー)
・戊辰戦争が起こる前に、太平洋を横断してアメリカに渡っている。外国を目の当たりにしている身として、日本人同士で争っている場合ではないと坂本や西郷に説く。
・持刀は水心子正秀。
今までの作品とは、まず歴史ネタの扱い方が全然違ったなと思います。
過去の作品では、
・義経北行伝説や沖田総司の労咳など、世間的な知名度の高いものは説明なく扱う
・中尊寺の古代蓮や徳川跡継ぎ論争、中島登の絵など「その時代に興味が無ければ知らない方が一般的な話」は、話の中で解説を入れたり知らなくても問題なく見られる形で扱う
という、濃度の割に観客フレンドリーな構成でした。
一方で今回は「複数の時代にまたがって世間的にややマイナーな人物や伝説を扱う。説明も最小限」という構成でした。(例:勝海舟と西郷が出た瞬間にあの会談だ!ってなれる人も、太田道灌の山吹の話を知っているとは限らない)
開幕するまで歴史上の人物が伏せられていたこともあり、基本的に初見時に細部は分からないこと前提で見る作品、というのは言えると思います。
一方で………………
↓↓↓ あとはもう全開ネタバレ/繰り返しますがあくまで個人の見方です!!よ!!! ↓↓↓
3.ネタバレ全開の感想
●歴史パートの構造
モチーフの使い方は、ああした構造の舞台としては、とても素直で綺麗な演劇だったと思います。
野暮を承知で思いっきり単純化すると
「災厄(怨霊将門)から
人々やその心(道灌)を
封印・結界で守り(天海)
それが破れるのに伴って次の時代へ(海舟)」
東京の辿った歴史という文脈を用いてリアルタイムのテーマを構築する、ある種かなり手堅い構造だと感じました。
言うまでもなく、一番大きな照射先はコロナ禍→ステイホーム→収束後の世界でしょう。
が、もう少し視点を変えて「人間の心の成長過程」や芸術/芸能の「守・破・離」、「スタイルを築きつつ新しい挑戦を続けてきたミュージカル刀剣乱舞の辿った道」みたいな見方もできる。
日本文化の中で繰り返されてきた現象*2や、人によっては例えば「高校生のときのあの子と私」みたいなパーソナルな事象にも当てはめられるかもしれない。
抽象性の高い演劇には、普遍性を上げられるって強みがある。
『彼らの話だが、我らの話でもあり、もしかしたらあなたの話でもあるかもしれない』
という表現形態は、平安・室町・江戸・幕末そして現代を跨ぐ今回の作品と確かにマッチしていたと思いました。
●謎のあの場所
その5つの時代に対して、ちょっと異質な桑名くんの農業パート。
いやもう、あのシーンの登場時点で見たかった姿見せてくれるわ、お歌の声はいいわ「おーーーーい!」は可愛いわでそりゃもう大変なことになってたんですけど!!!笑
あのポストアポカリプス(終末もの)SFっぽい不毛のシーンに、「土・農業・野菜」を愛する桑名くんを配したの何…何…!??って最初ド混乱してました…。忘れがちだけど刀剣乱舞、もともと時代設定は2205年の未来で、タイムトラベル&パラドクスが題材のSFゲームでしたね…。
劇中での表現は「放棄された世界」「誰もいなくなってしまった」どこか。
明言はされていませんが、あれもまた”東京”のifだと反射的に読みました。(※月面だったので『静かの海』方向の何かかもしれませんが、未鑑賞なのでそっちは一旦言及せずにおく方向で…)
遡行軍の歴史改変含め、何らかの形でいつかこうなってしまうかもしれない、という可能性の提示。後に東京に限る必要もないのかな、と思い直しましたが、とにかく「誰もいなくなった・すべて失われてしまった」概念としての空間というか。
ここでウッて胸に迫るのが、これは規模こそ違えど現実の歴史で起こった・起こりかけた事態だ、ということでした…。勝海舟が「火(江戸訛りのせいで”死”にも聞こえる)の海にしようってのか」と言っていたのもそうですし、ソハヤが口にしていた寛永寺の伽藍も実際に焼けています。男士の中にも、東京大空襲で焼けてしまった槍がありましたね。広いスパンで見れば、6600万年前にはいわゆる恐竜もなすすべなく絶滅してます。
そういう場所で、桑名くんが何をするかというと…
こんこんこん この星はたまご 何かが生まれる
殻にひびを入れたら 何が飛び出す
ツルハシで、硬い地盤にヒビをいれていく。(もぐらが出られるくらいに柔らかくなる…)
返事が無いのは分かっていても、おーい、おーいって自分で呼びかけて自分で返事をしながらせっせと掘り進めて…
さくさくさく
2回目の登場で使っているのは鍬、つまり柔らかい地面を耕してるんですよね。
ここがさーーーもうさぁーーーーー……(;;)
場所の絶望感と、
もし誰もいなくても、答えが返らなくても、呼びかけを続けるか? うん。
そんな場所でわざわざ固い岩肌を崩して、光や水を吸わせるか? うん。
だってこの星はたまご、ノックすれば何かが生まれるかもしれない。
淡々と楽しそうに開墾を進めていく桑名くんのギャップに胸がパーーーンですよ…!
四苦八苦を負う業に悶えながらも、桜が”咲く・咲く・咲き乱れる”中で本丸に祝福されて生まれてきた個体の陽性力どうなってるのほんとに!!そして桑名くん後でもう一回触れます!!
もうここ単体でたすけてくれ!って感じだったのに、道灌時空の陽気なヨーソレヨイショ!で「最初はなにもない荒地、そこに道が拓かれる、要の城が築かれる」みたいな歌詞が来るから思いっきり転がされる。江戸も家康の入城で大規模な埋め立て・干拓が行われるまでは”不毛の湿地帯”であった、って決まり文句が鳩尾に効く…。
誰もいなくなっちゃったから道はいらないのかも、ってちょっと乾いた桑名くんの台詞と、生命力たっぷりの石曳き歌がパチッとつながってゾワッとしました。
終わりと始まり、どちらにも通じるのが”何もない”。希望も絶望も紙一重。
●時を駆ける水心子
そしてそれらの時代を垣間見ながら、どうも様子がおかしかった水心子くん。
そもそも彼は何に悩んでる?出陣の課題は何で、どうなれば解決なの?
というのが明確に言葉にされなかったのが、今回の”わかりづらさ”の大きな要因であったように思います。
今までは「隊長は□□、編成はこの六振。時代は●●、あなた方には××をして頂きたいのです。」とか「敵の狙いは恐らく▲▲…!」「つまり□□しなきゃいけないってことか!」ってめっちゃ明確に言ってくれてましたからね…こんぺいとうであってさえ…(笑
ちょっとこれについては2回目以降の観劇で意見が加わったり変わったりするかもしれませんが…
①目の前にちらつく彼女は誰なのか、何なのか。
②人々が凄惨な最期を迎えたり苦難や悲しみに苛まれる事態が待っていることを知りながら“それが正しい歴史だから”と守る歴史には、未来には、価値があるのか。
③三日月は一体何をしようとしているのか。悲しい役割を負う人間を慈しみながらも、むざむざ死に向かわせる彼の意図はどこにあるのか。
④過去を生きた海舟は、天海は、道灌は、将門は、なにを考えてあのような行動をしたのか。
ザッピングする光景に呑まれながら、彼は何度も問いかけます。
自他の境目が曖昧になってしまうという線の引けなさに悩み、正しさと言う線を引いていいのかとまた悩む。
この答えも、言葉にすると“何を言っても理屈になってしまう”(by巴さん)というやつなので気が引けることこの上ないんですが、無理矢理一部を言語に押し込めると…
①あの娘は道灌に山吹の一枝を差し出した少女/将門が愛した女/今ここに暮らす私達/未来に生きる子たち、「個として名を後世に遺さなくとも日々を懸命に送る、この世界を作る人々」の象徴、というのが印象の最大公約数でした。
②あの審神者には、「価値があるのか?」という問いかけに「ああ、今の歴史にはそれだけの価値がある」あるいは「価値は無いが守らなければならない」と断じる傲慢さはない。
そもそも守る価値が有るか無いかと線引きをするのではなく、負けていったもの、辛い役目を負ったもの、名を遺せなかったもの、すべてを含んで歴史は成立している、という機軸の転換が水心子に必要だった(悲しいことがあってもその次に我らがいる、一作目から通底してるテーマですね)。
③三日月の存在や意図についてはアンノウンが多いですが、少なくとも水心子くんが将門の死に様を見て「(貴方は悲しい役割を追う人間を慈しむが)彼はそうではないのか!」と叫んだときのような、「あの人物は歴史の犠牲者だから守る、そうでないから見捨てる」というような関わり方はしていなかった。
では何を守るかと言えば……
④各時代の人々の人生は、線の外からは量れない彼らなりの意思と選択の結果として存在していた。(そして問われても開陳するとは限らない。この話も後でもう一度します)
三日月はその悲しみや無念にまで心寄せつつ、最終的にはそうした影まで含めたものを『歴史』と観念して、状況の許す限り尊重しようとしている…多分。
…というような塩梅で、諸々の疑問が
「見えている月はいつも三日月だった。でもまあるいはずなんだ(光の当たらない部分まで月≒歴史なんだ)」
という答えに収斂していったように見えました。
●隊員の構成と「線」について
上で挙げたような今回のキーワード「線」について、今回のメンバーの来し方が8重奏になって共鳴してくるのも熱かったです…!!
まず中心で思い悩む水心子。
彼がああいうポジションに立ったことについては、公式設定の
「新々刀の祖として相応しくあろうと、理想を掲げ努力を惜しまない。しかしまだ経験が浅く、隙をつかれると素が出てしまう。」
っていうキャラクター性が、次々に浮上する疑問や葛藤という形になっていたように感じました。
今回の彼の煩悶は見えやすかったですが、葵咲本紀において
「勝者は正義、敗者は悪。単純にせんと壊れてまうからなァ……心。」
「価値あるものは助けたい、でも歴史に残らなかった価値の無いものは壊しても構わない!そういうことですか?」
って凄まじい笑顔で語った明石も、”線を引くという行為への葛藤”みたいなフラストレーションに関しては近いものがあったと思うんですね。
でも明石は、彼のように正面から声を張り上げて「どういうことなんだ、何なんだ、どうしたらいいんだ!!」って叫ぶことはできなかった。
古刀復古を志す理想と理知を備えつつ、精神は少年のように柔らかで直向き、って水心子くんが要になってくれてこそ作り上げられた話だったなぁ…と思います。
忘れてはならぬ 馴れてはならぬ
廃れてはならぬ 諦めてはならぬ
この歌詞がまじでまじで好き。
このひりつくほどの責任感や切迫感が、”泰平の世に廃れかけた日本刀の復興を試みた”刀工・水心子へのオーバーラップかつリスペクトのようで堪らない。
(あと明石ついでに「自分は正しい、敵は悪!(中略)…そう思わんとやってられへん」。今回、性格的には正反対に近く見えるあの豊前が「覚えて貰ってるうちは存在してるんだって、…そう思わないとやってられねえってところはあるかもな」って言ってたのにウォオ…ってなりました。葛藤と折り合いの付け方さあ…)
そんな水心子を支える清麿。大天使で大親友清麿。
彼もまた、「名づけ」という線によって、本丸にいるもう一振の清麿だったもの(長曽祢)と別個体として存在できてるんですよね。観劇時は覚えてなかったんですけど、心覚見たあとで回想名の『名を分かつ』見返してウワーーーーー!!って机に突っ伏しました…。
一方で、彼の本丸台詞にあるのが「納得できないことなら、するべきではない。僕はそう思うよ」。割り切らず、納得しないことも肯定してくれる男士でもあるのがすごく良い。「迷子になっても僕が探し出すよ、落ち着いて、大丈夫」って語り掛ける彼も、彼ならではの役割をやってくれてて…ほんとによかった…。
それまで水心子に「何かできることはある?」と問いかけては一歩離れて見守ってた彼だけど、迷いの晴れた水心子に「一緒に来てくれるか」っていわれて「うん!」って頷くあそこも好き!!「結界」を無理矢理踏み壊されずに内側で十分に練り上げられたからこそ、時が来たら水心子の方から解いてくれたみたいな、胸がいっぱいになる優しさの形でした。
名づけといえば豊前江!
上でも一瞬書きましたが、彼が劇中で「自分という存在が”覚えていてもらえる”事実に依拠している」ことに自覚的・見ようによっては自嘲的だったのもドキッとなりました…。無銘である郷義弘作刀の刀が極めによって江としてのグルーピングを得ている、っていうのと併せて二重に来る。
線を引いてこそ存在するものもある、という部分に深みを与えてくれる存在だと思いました。
しかも自分の手を血で濡らした後に、五月雨くんに「できればお前には歌だけ歌っててほしいよ」って”俺とお前”の間を隔てるのがまじで…りいだあ、どうして…。
その上いままでのミュの誰よりも淡々と親しんだ人物(道灌)を斬る、そして言うのが「知りもしねーで殺したくねーんだ」。通じた上で切り離す。
フランクに、分け隔てなく、仲間たち皆を大きな器で受け止めるりいだあが、自分に纏わる話ではどこかスパッと一線引いてしまう、っていう造形にいまだに動悸がします。いやまじで、パライソで何があったの…………。
からの、桑名くん。
このお話の中で、彼は少し特殊。
私の覚えてる限りですが、彼の描く「線」は直線ではなく円なんですよね。
水も、命も、大きな大きなスパンでぐるぐる星を巡っては、どこかに降り注いで花を咲かせるのかもしれない。
地に足つけた理屈っぽさがウリの桑名くんが、一番観念的でふわふわした話で物語のキーを提示してくれるのびっくりしました…。科学の話に徹すると不思議とロマンチックになることがある、みたいな話を昔コズミックフロントで聞いた気がするんですが、まさにそれ。
刀帳の「全てのものは循環の中で出来上がっているのだからね」、こんな風に使われるとか思わないから!!!!
(ちなみに突然の河童の水is何…?って調べてみたら、道灌を題材にした”雨具断り”の落語で「丸漬や なすび白瓜 ある中に 今一つだに なきぞかなしき」=胡瓜がないです=河童(合羽)がありません、って応用されてるらしく、いやこれじゃないかもしれないんですが、そんなことある!?)
そして五月雨&村雲のわんわんコンビ。
彼らも江である一方で、長らく”悪役”と扱われた主を持つ二振ですね。
特に雲くんは「線なんて引くからあっち側とこっち側で分かれちゃうんだ」 って、明確に非難めいた口調で語る。「線」の話が出たときにサッと善悪二元論の暴力性と接続してくれる、良い仕事をしてくれてたとおもいました、雲くん。
一方で「おおお!」って思ったのが、「雨さんがいればそれでいいんだ…」(ゲーム)「癒して雨さん……」(劇中)って半ば癒合する勢いで依存してそうに見えた雲くんが、後半では五月雨&豊前:村雲&桑名って、別々の場でうごいてたところ!!言葉遊びみたいですけど、分かれた場所で理解るものがあった上で合流する、みたいな。そういうの審神者だいすきだ。
それから東京心覚の「文字も線だ」「呼んでくれる人がいるから存在している」っていう観念が、「詠んでくれたあのひと」にこだわる雨さんにもちょっとサポートくれる感じありがたかったですね(笑
歌合で触れられた古今集仮名序の「目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ 男女の仲をもやはらげ 猛きもののふの心をも慰むるは歌なり」、線をさらりと越える力持つ歌を介して、刀剣男士の五月雨くんと人間の道灌がさらっと”歌詠み同士”として繋がってるラストに、歌合大好きおばけは堪らない心地でした…。
最後に大典太とソハヤ。
『幕府の霊的な守り』回想に絡む発想が、今回最重要キーポイントの一つだったのエキサイトしました!!結界!結界!!
どうしても先に出たステ三池のイメージが頭の隅に残ってしまうかなと思ったんですが、ステは前田君&まんばちゃんとの接点にフォーカスしたキャラ立て⇔ミュは兄弟回想が主軸だったので、すっぱり別本丸って思えたのもささやかに嬉しいオマケでした。
「線」に関しては、まず重い空気を纏った蔵入り息子・典太さんが「暗い場所からはよく見える 光ある世界 眩しいほどの季節 外に出されたからには…」って歌うところで、か、カッケェ……!!って痺れましたよね…。我々も待ち焦がれている、暗い場所から見る明るい季節!言葉で描かれる強烈なコントラスト!好き!!
三日月のことを問われたときの天下五剣への反応からも、人間が勝手に引いた線への反感というか、厭わしさみたいなものも感じられる。男士を形作る名づけ(≒ラベリング)も好ましい作用ばかりではない、という話をするのに説得力がある配役で良かった…。
またソハヤは”強い霊力を持つために長く仕舞われていたことを少々根に持つ”のが公式設定な訳ですが、その物語の決着で、物吉くんとの回想にある「狸爺の墓所の番」が出て来てウォオオオ!って…。迷惑と情愛が混在したような複雑さを見せながら、天海に「よくやったんじゃねえか 互いにな」って語り掛けるシーンがたまらなかったです。線の内側に押し込められるのは概して好ましいことではないけれど、そこで送った日々も虚しいばかりのものではなかった、って見えて感慨深かったです。
●花の話
そして「線」と同じくらい、今回のキーになっていたのが「花」でしたね。
道灌が歌を学ぶ切っ掛けになったらしき山吹を、どことも知れない地で村雲くんが植えたがり、桑名くんが咲かせている。名も無きひとが、その花畑の中にいる。
「花=生きとし生ける人自体、またその心を表す歌や芸術」と取ったときの、「実のひとつも生らないのに(雲「やっぱり野菜や果物にしようか。腹の足しにもならないし…」)、誰も見るひとは居ないかもしれないのに、それでも花を咲かせるのか?」を、桑名くんが朗らかに肯定してくれるやりとりでもう、人を、創作物を愛しむ身としてはブワァ…!って泣けてしまったんですが。
今までのミュでも、愛惜、記憶、追悼、色んな願いが込められた花々が登場してきましたよね。それが水心子くんの台詞と映像でぶわーーっと蘇るさまがもう、ワーーーってなっちゃって…良い加減語彙が無くなってきたけど許してほしい…。
桔梗。
将門の愛した女性の名の象徴的な花。
山吹。
今回の作品において、「歌」という営みにも類えられる大切な花。
蓮華。
天海が「咲き誇れプンダリーカ」と唱えた白蓮華は、村正が唱えるサッダルマプンダリーカスートラ(妙法蓮華経)の一部でもある仏道浄土の花。
三日月が泰衡を死に誘った時の約束の花であり、小狐丸と「いつの世にも美しく咲く」と愛でた花でもある。
火の華。
海舟が啖呵を切った「火事と喧嘩は江戸の華」は、天保江戸回想での活気の象徴。
つはもの公演では咲き乱れ咲き狂う戦の象徴であり、天狼では恐らく沖田くんの命に擬えられ、原作ゲームでは隅田川花火大会が中止になった夏に”とある時代の江戸下町”から時間遡行軍に奪われた時間として取り戻した華。
…が、恐らく彰義隊に打ち込まれてるアームストロング砲の音を背景に語られるのがなんとも言えず辛い構図…。
竜胆。
双騎出陣の膝丸演じる筥王が母親に渡した、家族の情愛の花。
葵。
葵咲本紀公演で、信康と家康が「葵にもいろいろある」と語り交わした徳川の花。
みほとせ公演で、伽羅ちゃんが吾兵に手向けた別れの花。
鳥兜。
乱世を生きるには優しすぎた、草花を愛する信康と、村正の間に通った想いの花。
それぞれの生き様・散り様が、水心子くんの中にドッと流れ込んでくる場面が凄かった…。
花は必ず散る、人は必ず死ぬ。
意味がなくとも花は咲くし、人は生きるし、美しい。
その有様を見届けてきた三日月(あるいは仲間の男士達)とのシンクロが急激に襲い掛かって一度は昏倒するも、目覚めて再び主の前に出るときには何か憑き物が落ちたような顔になってる水心子くんに息を呑みました。
もうこれは私の勝手な印象なんですけども!
前半の水心子くんの煩悶の基盤には、その生真面目な性格から、自分に見えるものの「意味」「理由」「輪郭」「あるべき姿」みたいなものを必死に追ってしまっていた部分があるんじゃないか、と思ったんですね。
でも歴史はそういう風にはできてない。
もっと言葉にならない、なされない、一人一人の結界の中にある語られぬ思い(三日月の影)が積み重なって出来上がっているんだ、という感覚の端緒をつかんだことで、「そのひとつひとつを問い直したい」って思いが生まれたんじゃ!なかろうかと!思ったんですがこれはもう一回見て確かめたいです!!笑
●ストーリーラインの回収
本論ではこれが最後の項目です!
そこからの、水心子くんの遡りパートが、まじで、まじで熱い。
まず最初の時代めぐりが現代⇒平安⇒江戸⇒放棄された世界⇒幕末⇒室町ってしっちゃかめっちゃかな順番だったのに対して、幕末⇒江戸⇒室町⇒平安って遡って根源である将門にまっすぐ辿り着く構成が、水心子くんの迷いのなさとシンクロして熱い。
それから水心子くんがあなたは何を考えて●●をした?こういうことか?って問いかけた質問には、ことごとく答えて貰えなかったり「そんなことじゃねえ」「それもあるが…」と、”正解”ではないことが示唆されますね。
でもそれに対して惑うどころか、逆にストン、ストンと何かを腑に落としていくような水心子くんの表情にも心震えました。
「見えていたのはいつも三日月だった。月は丸いんだ」に至るまで、彼がステップを上って行くのを観るようで…。
さらに、
海舟:幕府なんてせせこましいものを守ろうとはしていない、日ノ本全体のために動き、いつか世界を旅するのが夢だと語る
(水「貴方は結界を広げようとしたんだな!」に海舟が「はぁ?」って返すところも好きです。線・結界は水心子くんの言語であって海舟はそんなつもりでやってない、ただ観客には水心子くんの歓喜が少し分かる)
↓
天海:家康の遺志を継ぎ、江戸の形を整えて、子守唄の聞こえる泰平の世を完成させる
↓
道灌:一人の少女から受け取った山吹の和歌をきっかけに、石を積み要の城(江戸城)を築こうとする
(ここの和歌の解釈が何通りか可能だと思うので、まだ考えたい……というか、雨さんみたいに、その時々で大事に感じたいです。保留)
↓
将門:「新皇」と名乗ろうと思ったのは、惚れた女が居たからだ!それ以外に命を懸けるものなど何がある!と大笑する。
ある種の”東京”の誕生譚として壮大に語り起こされた物語が、時間を巻き戻すと、ギュッと”たった一人への思い”に凝縮する!!この!!この終幕はずるい!!!
「歌とは、人の心を種として、よろずの言の葉とぞなれりける」
思いという種が言の葉を茂らせ、歌という花へ。
「たった一粒の種から芽吹いた花」の、文字通り”種”明かしを見たような……なんか、なんだろう……本当に言葉にしがたい気分になりました。そして、
花は散るけれど、何もなくなった場所は、また何かの始まりの場所になる。
数多の人々の悲喜交々の思いを抱えながら、古代から続く営みは現在まで循環してる。
もうどのパートだったかも朧なんですが、「結界が綻ぶ」ことと「花が綻ぶ」ことをかけたようなくだりがあったかと思います。
季節はもう春。
思い切り咲(わら)える日も遠くない、そうであってほしいと、その思いが残った公演でした。
●おわりに
もう……曲芸かよ!!!!!!!!って叫びたくなりました。
登場する刀剣男士たちの物語と、歴史と、土地と、今までの刀ミュ公演に通底するメッセージと、よくまあここまで1つの公演にパンッパンに詰め込んだもんですよ…!!!!!
三日月のアレソレとか、清き水に魚が棲むとか、他にも喋りたかったこと全然触れてないのにこの量。なんなん。頭痺れてきました…。
確かに『東京心覚』は、現代・不条理演劇の技術をリスペクトした作品だと思います。
頻繁な場面転換や抽象的な台詞回しを用い、ここが回答や説明ですよ!という提示もあまりせず、「言葉の外で伝わるもの」を受け取ってもらうことに比重を置いた作品だと感じました。
一方で、男士達の精神性へのアプローチ、文化の力を借りたストーリーラインの通し方、歴史上の人物と男士達の化学反応で綴る胸の詰まるようなドラマについては、「いやゴリッゴリの刀ミュだわ……」という気分でいます…(笑
SOGAが曽我物語の文化を借りつつも源氏兄弟のエッセンスを要所に織り込んだハイブリッドであったように、これは現代演劇と刀ミュのハイブリッドだ、というのが現時点での感想です。
産まれた思いも語りたい言葉もまだまだあるはずなんですけど、今は
やっっべえもん見た、刀ミュはこんなことも出来るようになっちゃったんだ……
って圧倒されてるのが正直なところです…(笑
なんならこうして言葉にすることも、ある種「言葉にならないものを言葉に押し込める、思考に結界を張る」ことになってしまうのかもしれませんが。
これは今の私が引いた線、これから何度も鑑賞するうちに綻んで、開いて、きっとまた新しい線が生まれるでしょう。ポエジックな言い方やめると、「一回叩き台置いとけば、後から『いやこれちげーな、こうだな』って見返す楽しみが増える」ということで!笑
熱量のままぶわーーーーっと書いた分の感想は、ここで一区切りにしたいと思います…。
東京心覚、すごかった!!!!!!!!
了
↓↓ ここから先は「ウワーー!」ってなったけど本論に収めきれなかった、オマケ兼備忘的なこぼれ話。個人的な燃えにとても偏ってる ↓↓
・りいだあと桑名くんの「名も無き花と呼ばれてる」「俺のことか?」のくだり。植物学者の牧野富太郎氏の「『名も無き草花』という植物はない。ただ知らないだけ、『名も知れぬ草花』と言うべきだ」って逸話を思い出しました。「名も無き人々」にも名前はある。我々が知らないだけ。
・将門伝説において忌まれるパターンも残る桔梗の花だけれど、道灌の素襖にでかでかと入った細桔梗の家紋が登場することに勝手に胸熱くなりました…。ステージ上の概念としての”東京”では避けられていない→この将門は、桔梗御前に裏切られず最期まで愛した将門なんだ、と私ワールドでは思っておきます。
・天海御坊の唱える「咲き誇れプンダリーカ」がまじでむり...。泥の中から花開く清らかな花。江戸自体を「あの家康公が、生涯を賭けて穢土の中から咲かせた浄土」と見立てる天海、後生だからフェス時空で家康公と会話してほしい。厭離穢土欣求浄土、叶いましたよ家康公…(;;)
・道灌の「石」が残る話。「花は散るが石は残る」といえば、コノハナサクヤヒメとイワナガヒメ。対比の妙。
・水心子くんが三日月に斬りかかるシーンで思い出したのが、荀子「譬人心、如槃水」。心が揺らいで、乱れて、浅く張った水のように揺れていたら、おのずからそこに映る月も歪んだ姿になる。そこから澄んで、静かになった水心子くんの水面が美しい。
・「当方滅亡!」を採用したの、名将・太田道灌が生き延びていたら扇谷上杉家は滅亡せず、伊勢宗瑞(北条早雲)は勢力を伸ばせず、後北条氏の繁栄や小田原合戦の形も違っていて、家康の関東仕置も発生せず……ドミノ倒し的に『東京』が出来上がらない的なアレだと浪漫だなと思いました。
・五月雨くんが道灌を悼む「ほろほろと山吹散るか滝の音」
これもう完全な妄想で連想なんですけど(笑)、激しく滝の音が流れるのを背景に、静かに散る山吹は美しい。
そこにさらに、「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」が続いて聞こえて、胸がギュウってなりました…。人が絶えても歴史は流れる。その歴史の支流の一本も、いつかは枯れてしまうかもしれない。それでもひとたび名将として人々の記憶に残った名は、後の世まで聞こえておりますよ…って。
ほんの4文字5文字を言えば歌全体の意思を伝えることが出来るのが歌道の奥深さ、というのが山吹の逸話でもあるので、雨さんの選句に夢を見たいと思います。